あらゆる経験を自分の糧に 霞ヶ関国際法律事務所・国際仲裁Chambers 高取芳宏
- 2022/2/16
- 弁護士インタビュー
1992年 最高裁判所司法研修所司法修習終了、弁護士登録
1998年 ハーバード・ロー・スクール (LL.M.)卒業
1998年
-1999年 ロサンゼルスのグラハム・アンド・ジェームス法律事務所にて勤務
1999年 米国ニューヨーク州弁護士登録
2000年 小中・外山・細谷法律事務所パートナー
2001年 太陽法律事務所・外国法共同事業(ポールヘイスティングス)パートナー
2005年 英国仲裁人協会(CIArb)日本支部共同代表
2009年 日本商事仲裁協会(JCAA)仲裁人名簿搭載
2011年 オリック東京法律事務所・外国法共同事業パートナー
2011年 社団法人日本仲裁人協会理事
2014年 公益法人日本仲裁人協会常務理事
2015年 英国仲裁人協会上級仲裁人(FCIArb.)
2019年 フィナンシャル・タイムズにより、アジア太平洋地域のトップ10弁護士の一人に選出
2020年 霞ケ関国際法律事務所・国際仲裁Chambersパートナー
2020年 国際仲裁総合研究所(JIIART)理事
2020年 国際ウェイトリフティング連盟倫理委員会/ガバナンスリフォーム委員会
昨今、世界は元に戻れないほど刻々とデジタル化しています。しかし「人」が大事であること、「人」が問題解決することに変わりはありません。
デジタル化が進んだ世の中だからこそ「人」に着目し、デジタルと寄り添いながら従事する弁護士の内面を伝えたく「弁護士の志や生き方」を読者に伝える為にインタビューを実施しました。
今回インタビューを受けてくださる先生は、霞ヶ関国際法律事務所・国際仲裁Chambersの高取 芳宏さんです。
赤坂・乃木坂での幼少期
小学校時代は勉強だけでなく、絵や音楽、体育も好きで、運動会では毎回リレーの選手でした。祖先にオリンピック代表と大和絵画家がおり、少なからず影響を受けていたかもしれません。自慢話になってしまいますが、小学校ではすべての科目でオール5、満点の評価をもらっていたこともあり、地球は自分を中心に回っていると思っていると勘違いしていた時期もあったように思います(笑)。
クラス内ではリーダー的存在だったとは思いますが、唯一給食の時間は苦手で大嫌いでした。我々の時代は、好き嫌いが許されず、生きている牛や豚を想像して肉が食べられない私は、今の時代はないでしょうが、食べきるまで居残りさせられ、先生の目を盗んでは捨てる、という戦いをしていました。
今や乃木坂46の聖地となっている乃木坂に住んでおり、放課後は、まだガードレールのなかった乃木坂をローラースケートで猛スピードで駆け抜け、曲がれなければ死んじゃうような遊びをしていました。その姿を目撃したジャニー喜多川さんがその後「光GENJI」を作ったのではないかと勝手に思っています。その他、六本木の交差点を竹馬で闊歩したり、ビルの屋上から別のビルの屋上に飛び移ったりと、今考えるととんでもない遊びをしていたものです(笑)。
小学校高学年になって、中学受験の進学塾に通いだし、運よく第一志望の国立の中高一貫校に進学できました。そこはまさにトップ集団でしたので、「自分より優秀なやつはいるんだ」と痛感させられました。
中高時代の音楽や美術
中学時代には、ブラスバンド部に所属しトロンボーンを吹いていました。トランペットに憧れていたのですが、別の人に取られてしまい、やむを得ず、というところです。3年生で部長を務めた後、高校でもブラスバンドを続けました。大学時代や弁護士になってからはしばらくは演奏していませんでしたが、歌手の友人に誘われたこともあり、またトロンボーンを演奏しだし、マラソンで有名な瀬古利彦さんのバンド等で活動していました。少し前ですが、サンプラザ中野くんや世界的なバンドであるカシオペアの元キーボードの向谷実さんのレコーディングにも参加させてもらいました。「大きな玉ねぎの下で」という名曲の新バージョンのトロンボーンは私が演奏しています。
「ブラスバンド部」ではオーケストラの演奏もしていましたが、文化祭で歌謡曲の演奏をしている方が楽しかったですね。当時大人気の八神純子さんの歌を歌うため、男子校ですから女装をして、そのままトロンボーンを吹いたりしていました。弁護士になってから、米国弁護士と結婚されている八神さんとお知り合いになることができて、その話をしたら大笑いされていました。
高校では芸術科目を選択するのですが、音楽部なのに美術を選択しました。絵を描くのもやはり好きだったんですね。私の中高は、成績が良く変わった人材が多かったですが、美術の成績だけは負けたことがなかったですね。
授業以外でも、文化祭の演劇用に芥川龍之介の肖像画看板を描くのに熱中してしまい、ブラスバンドの練習をさぼって怒られたりしていましたよ(笑)。
今思い返すと、大学に入ってからの法律の勉強はもちろんですが、中高の英語や数学、国語による論理的思考力もすべて今の自分の仕事に役立っていると思います。「学校の勉強」もそれ以外の勉強も全てです。ただ、当時、神経質な性格が災いし、高校生の思春期にノイローゼ的に悩んでしまって勉強が手につかなくなったこともありました。ただ、そのような経験や克服も含めて、全てが今の自分の糧になっていることを実感しています。
法律が面白くなり司法の世界に
大学に入ってからしばらくは、相当遊びました。「テニスandスキー」をうたうサークルに所属して実際には、六本木のディスコに通ったり…ですが、こんな生活を1年続けていたら遊び疲れてしまいました。高校時代には勉強にあまりエネルギーを使っていなかったこともあり「また勉強したいな」と思いはじめた大学2年の頃、ちょうど司法試験の合格者数がトップになったと学内でも大きな話題となり、興味本位で司法試験合格者の先輩方が行った受験指導のためのゼミに参加してみました。
ゼミの内容は、司法試験合格者が後輩に法律の解釈や判例の分析をわかりやすく行ってくれ、指導するというものでした。そのときのテーマは「たぬき・むじな事件」[1]という判例で、「なるほど、法律の解釈はこんな風に色々な考え方があり、ロジックが面白い」と思いはじめました。そして、せっかくなら法律を極めて、司法試験受験をめざす道もあると考えるに至りました。
そこで司法試験の受験予備校に相談しに行ったのですが、塾の事務の方から「中途半端な覚悟で進むと人生狂いますよ」とわざわざ言われたのです。普通、受講生を増やすことが目的の塾に再考を促され、衝撃を受けるとともに司法試験の壮絶さを痛感しました。
それで逆に意を決し、予備校に通い出したのですが、最初に受けた模試の会場で、さらに衝撃的な場面に出会いました。中年の男性が、壁に向かって「今年も落ちてごめんなさい」と司法試験に落ちた時に、おそらくは家族に謝る練習をしていたのです。司法試験は人をここまで追い詰めてしまうものなのかと恐怖さえ覚えました。当時の合格率は2%で、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったなと感じましたが、法律の面白さは弱まることなく、勉強を続けることができ、司法試験に合格することができました。
今思えば、受験勉強を続けることができたのも、法律の解釈をすることに魅せられていたのだと思います。司法試験に合格して法曹を目指すだけでなく、法律をより深く勉強したいと思っていました。「弁護士になりたい」というよりはむしろ「この面白い法律を活用して仕事をしていきたい」という思いですね。
国際仲裁・調停を取り扱う事務所との出会い
司法試験合格後の司法修習[2]で、実務修習は甲府でした。都市部とは違ってのんびりとした雰囲気で、修習生活を楽しみました。修習も終盤、いわゆる朝日訴訟[3]の裁判官を務めた方が立ち上げた事務所に見学にいきました。その先生がJCAA(日本商事仲裁協会)の初期の仲裁人で、当時の渉外系事務所としては珍しく、コーポレート案件以外にも国際的な紛争案件を数多く取り扱っていました。
弁護士業務に就くにあたり、私が重視していたポイントは2つです。
一つは紛争解決にかかわれること。
司法とは、「法による紛争解決」です。司法の一翼を担う弁護士になるからには、契約締結や企業へのアドバイスといったデスクワーク的な業務だけではなく、実際に法廷に立つ訴訟などの紛争解決に携わりたいと考えていました。
もう一つは英語を使って海外の案件を担当できること。
そんな私にとって国際紛争を扱うこちらの事務所は大変魅力的に映りました。
事務所に入所してから担当した業務の中に、仲裁に関連する案件もあり、仲裁に関連する法律のリサーチや仲裁人の補佐などの経験ができました。留学したハーバード大学でも国際仲裁を含む国際紛争解決等を学び、その後ロサンゼルスでインターンをさせて頂いた時も陪審裁判等の訴訟を経験し、自ずと専門分野が国際紛争になっていきました。
その後、外資系法律事務所の訴訟部門の立ち上げのためヘッドハントされ、当時は合格者が少なかった英国仲裁人協会の認定合格、日本仲裁人協会における研修プログラム参加と認定合格を得ることができ、英国仲裁人協会・日本支部の共同代表や日本仲裁人協会の常務理事に就任しながら、日本商事仲裁協会(JCAA)の仲裁事件等を仲裁人として経験を積む中で、仲裁人としての専門性を高めることができました。
「仲裁」や「調停」といったADRに特化するというよりは、紛争解決や英語を使えることに興味を持ち最初の事務所に入所しましたが、その後多くの国際仲裁案件や調停案件の経験を積むことができ、「国際裁判」に加えて、「国際仲裁」・「調停」を一つの専門分野としていくことになりました。
ニーズが高まる国際仲裁・調停と日本の将来
現代において、ビジネスが国内だけに留まることは難しく、国際的な紛争解決のニーズはまだまだあると思いますし、国内での関心の高まりに伴い、さらにニーズは増加してくると思います。
今後の日本の国際仲裁・調停へのかかわり方は2つ考えられます。
1つは仲裁・調停を海外企業と日本企業の紛争解決に利用することです。
米国のディスカバリー[4]に代表されるように、海外の訴訟手続は時間的、金銭的に当事者に重い負担となることも多いですが、その点を克服しないまま訴訟に突き進む日本企業も多いのが現状です。これではいたずらにリソースを消費し、結果として国益に反することにもなりかねません。
しかし、紛争解決は訴訟に限るものではありません。必要に応じて国際仲裁・調停を利用すれば、企業が主体的、戦略的に安価かつ迅速に紛争を解決することも可能になるのです。
もう1つは、日本が国際紛争の第三国として、各国の紛争を解決することです。
公平中立な仲裁地としての国際的地位を確立すれば、グローバル企業はオフィスをその国に置く理由にもなりますし、経済的な注目度も高まります。資源や製品の代わりに紛争解決手段をいわば「輸出する」こともできるようになるのです。
これらのニーズの高まりに対応し、日本に仲裁施設であるJIDRC(一般社団法人日本国際紛争解決センター)などが作られて、整備運用が進んでいます。
ただ、一方で、日本における国際仲裁実務がまだまだ十分活用されていない現状があります。
例えば、国際仲裁案件の取消や執行をめぐる裁判が提起されることもあるのですが、仲裁判断の有効性や執行力を裁判所で争われてしまうと、仲裁のメリットである迅速性や非公開性を阻害されてしまうこともあり、仲裁案件の裁判については通常とは異なる配慮も必要と思います。
現状、まだまだ弁護士や裁判官の間で、国際仲裁の知見や経験が普及しておらず、そのあたりの向上も課題と感じています。
このような状況を克服して、日本が世界的な国際仲裁の拠点になれるよう努力する必要があります。
「グローバルリーダー」になるための2つの条件
自分自身では「グローバルリーダー」などと名乗ることはできないですが、日本で国際仲裁や調停を扱う数少ない専門家の一人ではあると思います。その意味では、グローバルリーダーであるという自負をもって仕事に取り組むべきだとは思います。
このように、業界をリードしていく自負を持つには、「研鑽」と「理解」が重要だと思います。
国際仲裁・調停においては国際法の解釈や運用についての理解やトレーニングも重要になってきます。たとえば、仲裁は裁判と似て非なるものです。仲裁をするには裁判と異なる仲裁実務の研修と制度への理解が求められます。
国際調停では、各国の法律の解釈適用を前提とした上で、法律を超えたビジネス面の理解と、当事者相互の共通のビジネス的利益を探求するコミュニケーション能力が求められます。また、国際仲裁とも異なる調停固有のトレーニングや経験も必要になってきますね。
それぞれの制度に対する深い理解と、研修などに基づく研鑽こそが、仕事に自信を持つための裏付けとなるでしょう。
全ては自分の糧になる。あらゆることに「感謝」を
「座右の銘」として掲げているわけではないのですが、「感謝」の気持ちはいつも大事にしています。
正直なところ、これまでの弁護士人生でもつらい経験もありました。複数のボスから仕事を同時に振られて徹夜で仕事をしたこと、聞いたこともない契約書をいきなり作らされたこと、ボスに頼まれてクライアントにアドバイスをしに行ったはずなのに100人集まった講演会で準備なしに登壇する羽目になったこと、、、散々な目に遭って当時は恨んだりもしました。
しかし、その経験がすべて今の自分に活きています。どんな講演会でも「あの時よりはましだ。もっと過酷な経験をしてきた。」という自信がありますし、それに比べればどんな講演会や発表の場でも余裕が持てます(笑)。
苦労したこと、大変だったことやどのような出来事も自分の糧になると思いますし、あらゆる出来事を経験したことに感謝する気持ちはいつも持っています。
オンラインで「楽しく」仕事を
座右の銘とも関わりますが、「感謝」と同時に、「楽しむこと」も大切にしています。
「弁護士」としては、仕事を楽しみながら若い人たちにもノウハウを伝えていければよいですね。
今はオンラインで国際仲裁も調停もロースクールの授業もできます。インパーソンつまり「実際に面と向かって」を重視する方もいらっしゃいますが、私はオンラインでも、コロナ禍に拘わらず、インパーソンにはない多くのメリットもあると考えています。国際仲裁は必然的に世界各国の方々が関わりますから、オンラインで時間を有効活用できるし、移動時間を減らして仕事のアベイラビリティを最大化できるというメリットもあります。
もっとも、そのようなテクノロジーを利用することにはサイバーアタック等セキュリティの問題もリスクとして伴います。
そのようなセキュリティの問題を乗り越え、デュープロセスを維持しながら、国際仲裁や調停は国家間の紛争の解決にも十分活用できると思いますし、まだまだ無限の可能性があると思っています。
終始気さくにインタビューに応じてくださった高取先生。
思わず笑ってしまうような冗談を交えながらお話しされる柔和な表情と、仕事への熱意や後進への思いをお話ししてくださったときの真剣なまなざしは、まさに先生のお人柄が表れた瞬間だと感じました。
高取先生、お忙しい中インタビューに応じていただきありがとうございました。
[1] 地域によってアナグマ類を「たぬき」、「むじな」と呼ぶことがあるために、「たぬき」の禁猟期間に「たぬき」を狩猟したとして逮捕された被告人が、禁猟でない「むじな」を狩猟していると思っていた事件。被告人には処罰に必要な「故意(犯罪を起こす意思)」がないのではないかという「事実の錯誤」が問題となった。
[2] 司法試験合格後に実施される研修のこと。現在は1年間であるが、当時は2年間。これを終えると法曹としての資格を得る。
[3] 最判昭和42.5.24。生存権(憲法25条)について争われた事件で、憲法学上非常に重要な意義を持つ判例。
[4] 米国の訴訟制度で、当事者が相手方に証拠の開示を求める手続き。開示対象が証拠のみならず関連事項にも及び、広範な資料開示が必要になる。
・著書
「訴訟・コンプライアンスのためのサイバーセキュリティ戦略」(NTT出版)
「最新クロスボーダー紛争実務戦略」(レクシスネクシス・ジャパン)
「高取式メソッド 企業間紛争解決の鉄則20」(中央経済社)
・所属事務所務所紹介としては、 霞ヶ関法律事務所・国際仲裁Chambers https://www.kiaal.com