「直感」頼りのキャリア形成 アンダーソン・毛利・友常法律事務所 三宅英貴

三宅英貴

2020年は元には戻れないほどモノゴトがデジタル化した年と言っても過言ではありません。

しかし「人」が大事であること、「人」が問題解決することに変わりはありません。

デジタル化が進んだ世の中だからこそ「人」に着目し、デジタルと寄り添いながら従事する弁護士の内面を伝えたく今回「弁護士の志や生き方」を読者に伝える為にインタビューを企画しました。


今回インタビューを受けてくださる先生はアンダーソン・毛利・友常法律事務所外国法共同事業 パートナー 三宅英貴さんです。
様々なご経験をされた中で、構築してきたキャリア。その都度、どんなことを考えどんな決断をしたかお聞きしました。

三宅先生のプロフィール

1991年3月:桐朋高等学校卒業
1996年3月:慶應義塾大学法学部法律学科(法学士)
2000年4月:最高裁判所司法研修所修了(52期)・東京地方検察庁検事
2000年6月:札幌地方検察庁検事
2001年4月:仙台地方検察庁検事
2003年4月:東京地方検察庁検事

2004年6月 – 2009年12月:アシャースト東京法律事務所(外国法共同事業)勤務
2004年11月 – 2005年3月:株式会社新生銀行スペシャルティファイナンス部へ出向
2006年4月 – 2007年3月:フィデリティ投信株式会社法務部へ出向

2010年1月:金融庁証券取引等監視委員会事務局課徴金・開示検査課 証券調査官
2011年7月:同局開示検査課 主任証券調査官(同局取引調査課 併任)
2011年8月:同局取引調査課国際取引等調査室 併任

2013年7月:新日本有限責任監査法人FIDS(不正対策・係争サポート)(現EY新日本有限責任監査法人Forensics事業部)

2017年4月:アンダーソン・毛利・友常法律事務所に入所
2020年1月:アンダーソン・毛利・友常法律事務所 パートナー就任

-弁護士を目指すきっかけは就職活動

男子校の中学・高校を経て法学部に進学したものの大学時代は全くといっていいほど勉強もせず、ウィンドサーフィンに明け暮れました。

学校にはほとんど行かず朝から晩まで逗子の海で過ごす学生生活でした。

大学4年になると周囲が就職活動をはじめたので、私もしなくてはとろくに準備もせず活動するものの、どうもしっくりこない。

「・・・このまま社会人になってもなあ」と国家公務員の試験勉強をはじめたところ、法律の分野はとてもオモシロイことに気が付き、路線変更して司法試験を目指すようになって2年目で運よく合格しました。

-検事の仕事に魅力を感じた瞬間

司法試験合格後、法曹になるまでのプロセスとして司法修習がありますが、検察修習のときに色々な事件の裏側までみて真相に迫れる検事の仕事に興味をもちました。検事にとって大事なのはコミュニケーション能力です。どの検事も個性的かつエネルギッシュでチーム一体となって仕事する一体感がとても魅力的です。また体育会系な検察の社風も自分の肌にあうし、オモシロイと直感しました。当時、法律事務所からもお誘いをいただいていましたが自分の直感を信じて検事に任官しました。

※司法修習とは
司法試験合格後に法曹資格を得るために必要な裁判所法に定められた「司法修習生の修習」の通称

-入った瞬間から1人前扱いされる検事の世界

当時の検事は(20年前)1年目から主任といって事件の担当となり自分の名前で起訴状を書きます。公判担当の場合も自分が公判立会の検察官として刑事裁判に1人で行きます。もちろん上司や裁判官からの指導はありますが、1年目から案件の責任者として、仕事に従事していました。そのお陰でプロジェクトの全体を見渡しながら、どう進めていくかを考える癖が身につきました。無理やり1人前扱いされる環境に身を置いたことで、プロジェクトマネジメント力が身に付いたと思います。

法律家であれば誰もが事実認定をしますが、その事実認定の方法については大変学びは大きかったです。

相手から話をどうやって引き出すのか、証拠を分析しどうやって事実を認定するのか、刑事裁判の世界は事実認定が全てと言って良いほど重要なので、現場でこの体験と実践ができたことは自分の財産になりました。

検察の看板を掲げているとは言え、人と人の人間関係を構築しないと被疑者や証人は話をしてくれないことが多く、能力が高くても人がベースとなるので究極のコミュニケーション能力が求められるのが検事の世界だと思っています。

※事実認定とは
裁判官や検察官が、証拠に基づいて、判決や起訴・不起訴処分の前提となる事実を認定すること

-弁護士へ転身した理由

4年間検事をやりましたが、2年毎に転勤があると人付き合いが極端になっていく傾向にありました。検事の立場上、赴任先で交友関係を広げるのも難しく、自分の世界が狭くなってしまう懸念です。

また、先程話したように、検事の世界は事実認定が9割9分を占めるので法律適用の問題を扱う機会が少ないという懸念もありました。事実認定で勝負がついてしまう世界は好きですが、法律適用の問題をクリエイティブに検討するような仕事をしたくなりました。

更に検事の場合には一定の年次になると決裁の仕事がメインとなり、いつまでも現場にいられる訳ではないので、そういった意味では弁護士になるのは自然な選択だった様に思います。

-直感で構築したキャリア

珍しいやり方かもしれませんが検事からの転職時には次の勤め先を決めずに辞めました。その時に考えたことは、日本組織とは真逆のところに行ってみたいというのが1つの軸でした。検察のような伝統的な日本組織はバックグラウンドが似た日本人だけで構成されている為か以心伝心や阿吽の呼吸で物事が進むような雰囲気もあったので、そうではない組織を経験してみたいと考えました。そして、ご縁があったのが外資系の法律事務所でした。

5年間在籍しましたが、その間、2回の出向経験があり、出向先はどちらも金融機関でした。1社は国内の銀行で1社は外資系の資産運用会社です。資産運用会社では自分の上司は女性の外国人弁護士でした。当然日本の法律に詳しくないので、参謀のように逐一その上司をサポートするような経験をしました。そうこうしている内に、検事4年、金融法務5年という謎のスペックを持つ弁護士になってしまいました(笑)。かなり特殊だな、と自分でも思いました。

クライアントサービスを5年間経験した後、このキャリアを活かして、次はどうするかを考えると公益的な仕事に戻りたいと思う気持ちが強まりました。

ちょうどその時、金融庁の証券取引等監視委員会の人材募集に目が止まりました。当時、証券取引等監視委員会は活発な法律の執行をして目立っていたので気になっていました。彼らはインサイダー取引や粉飾決算を摘発する専門部隊です。ここであれば、自分のこれまで培ってきた検事の経験と金融法務の経験、どちらも生かせるのではないだろうかと思い、法律事務所を辞めて片道切符で行くことにしました。

その時点でその後の特に大きな野望や将来の計画があった訳ではないですが、率直に面白そうな仕事だなと直感的に思って転職したのが本音です。

証券取引等監視委員会は行政官、法曹、公認会計士、デジタルフォレンジックのエンジニア、金融機関からの出向者など多様なバックグラウンドの専門家が集まった大変刺激的な職場でした。専門分野が違うので以心伝心や阿吽の呼吸といったことは通用せず、プロ意識の高い専門家集団でした。私の場合、主に粉飾決算の摘発を担当していたので仕事を通して、公認会計士や監査法人の方々と議論し、チームアップする機会が多々ありました。それまで特に会計や監査の世界に詳しかったわけではありませんが、徐々に公認会計士の世界や監査法人の内情が見えて来て、そのような世界も面白いぞと思って興味をもつようになりました。仕事が楽しくて任期付公務員の任期を延長して3年半勤務しましたが、ちょうど任期が終わる頃、大手監査法人が弁護士法人をつくる流れがありました。日本で最初のケースとしてEYが弁護士法人をつくるという話があり声をかけてもらったのがきっかけとなって、EYにジョインすることになります。ただ、弁護士としてではありません。なぜなら、弁護士法人ではなく監査法人にジョインしたからです。

EYは監査法人の中にフォレンジック部門があり、この部門は弁護士法人ではないので、弁護士業務はできなくなってしまします。ですが話を聞いていると、リスクアプローチやデジタルフォレンジックなど弁護士にはないアプローチやツールを駆使して不正調査などを行うフォレンジック部門の方が面白そうだなと直感的に感じました。もちろん監査法人に入ると外部向けのリーガルサービスの提供はできなくなりますが、自分の得意分野の法律業務を一旦封じても、自分の直感とフォレンジックの将来性を信じることにしました。

たまたまEYの場合にはフォレンジック部門が監査法人本体のなかにあったことから、監査法人の組織風土や考え方に触れられる良い機会との思いもあってEY新日本有限責任監査法人に移りました。この時、将来的に弁護士に戻る予定や計画はなく、会計ファームのフォレンジック部門に所属する弁護士は珍しかったのでこの世界に骨をうずめて危機管理を極めたプロフェッショナルになろうと思っていました。

とは言え、EYに約3年9か月勤めた後、結果的に弁護士に戻るのですが、それは自分が最後にどうなりたいかを考えた時に、個人として息長くプロフェッショナルとして活動を続けるには弁護士に戻る方が良いなと感じたことが理由です。監査法人は組織、弁護士は個人が前に出る仕事です。定年もなく70歳でも80歳でも現役でいられます。自分のその後のキャリアプランを総合的に考えた結果、弁護士に戻る決意をしました。

-様々な上司に仕えることで見えてきた仕事の極意

異色なキャリアだからこそ色々な上司と巡り合い、その中で仕事をしながら勉強させてもらいました。弁護士としてパートナーになったのは2020年1月。決して早いとは言えません。その分、検事の上司、外資系法律事務所の上司、出向先の金融機関の上司や外国人弁護士、EYの公認会計士、金融庁の行政官と、様々な上司にお仕えする経験をしました。若くしてパートナーになってしまったら、こんな経験はできません。

これまでの経験を通じて、組織毎に仕事のお作法があって、様々な仕事のやり方や手法があるのだと身にしみました。文章の作り方1つでさえ全然違う。上司によって、組織によって体裁や期待される記載内容はバラバラ。法律家の文章は原則論から説き始めるので長くなりがちですが長ければ良いものでもなく、意思決定に必要な情報を端的に伝える文章が良い場合もあります。

EYではコンサルタントとして提案書やマーケティング資料をつくるような経験もしました。法律家が通常書く文書とは全く異なった世界で何をどのように書けばメッセージがうまく伝わるのか考えながら工夫することで適応していきました。お陰でコミュニケーションやレポーティングの仕方については引き出しが増え、柔軟性や適応力が上がったと思います。

他の弁護士と違うポイントはここですね。色々な組織でキャリアを積んだことで様々な状況に柔軟に対応できるスキルが身に付いたように感じます。型にはまらずに、どうすれば良いかをコミュニケーションしながらご提案できると思います。

-不正に対する企業の変化

人間が組織を作る以上は不正を「0」にすることは難しいです。時代の流れとして不正や粉飾が増えてきている様に見えるのは、昔より表沙汰になるケースが増えていることが原因で、隠して有耶無耶にすることが難しくなってきた為です。不正の疑いがあれば監査法人がきちんと調査するよう厳しく会社に要請するようになりましたし、SNSで表面化する例もあります。

この流れを汲んで企業側も原因の分析と再発防止策を立てて、仮に不正等が表面化しても改善に向けてしっかりと対応することが求められるようになりました。企業の意識として不正は必ず起こるものだと心得ていた方が良くて、そうすれば事前の対策もできます。仮に不正が起こってしまった時もきちんと再発防止に向けて対応することができれば、企業の姿勢としては正しいのではないかと思います。

このことを理解し、不正が表面化する例は増えていますが、その一方で、再発防止に向けて真摯に対応する企業も非常に増えた印象を持っています。

-民間だけが進化するリーガルテック(法律×技術)ではダメだ

データ分析をしようにも、システムが違い一元管理できてないため、分析できないといった現場の課題があります。古いシステムと新しいシステムを別々で使っていると起こる現象で、テックを使うにも前段階でつまずいてしまうケースを見かけます。せっかくリーガルテックを活用しようと思ってもできない現状は残念に思います。

テック(技術)の部分は非常に進化している様に感じますが、お役所のマインドが付いていってないことも気になります。ハンコがなくなる話はありますが、未だにFAXを使ったりしています。米国では官民で人材が流動的に行き来するのですが、日本ではほぼありません。

そうなると、お役所の方では自分がこれまでやってきたことに固執してしまうので、変わらない、あるいは変えたくないマインドが強くなり、せっかく良い技術があったとしても、お役所側で活用するインセンティブが低く、結局、改善されないでいつまでも現状維持となる傾向があります。

この部分はぜひ変わって欲しいです。

-コロナ禍での環境変化

コロナの影響で変わったことは劇的に移動が減ったことです 。出張がなくなり、Webで会議することが日常となり、お陰で会議が連続するので移動時に一息付く時間が無くなりました。効率が上がったと言えば良いでしょうか・・・。深夜まで事務所にいることは皆無です。どこでも仕事できる環境になりましたかね。

仕事の影響度で言うと、これからコロナの影響で不正は増えると予想され、ある程度時間が経った後に不正が表面化して対応する案件が増えてくるのではないでしょうか。

-ミライの野望

沢山の経験をしました。弁護士資格を持った人間としてはキャリアの築き方は異色です。これまでのキャリアのなかで、検事と証券取引等監視委員会は公益的な仕事であり、監査法人も投資者保護の視点をもった公益的な仕事でした。弁護士に戻ってから担当した第三者委員会といった調査業務もステークホルダー向けの公益的な意味合いのある仕事です。

結局、公益的な仕事が自分の肌感覚に合うわけですが、キャリアの最後にはこれまでの経験 全てつぎ込んで、もう一度当局で仕事をする、具体的には証券取引等監視委員会や公認会計士・監査審査会といった証券市場の監視を担う機関の委員になることが将来の野望です。そのようなポジションの適任者としてお声のかかる人材となるべく、研鑚し続けたいと考えています。

-未来予測を信じるくらいなら自分の直感を信じろ!

ここまでお話してきたように、私は直感的に動いてキャリアを重ねた人間です。その都度、その都度合理的に将来を予測してキャリアプランを立ててきませんでした。直感を大事に生きてきたら、こうなったと(笑)。なので、偉そうに語れることはありませんが、キャリア形成のコツはとにかく目の前のことを全力でやろう!というマインドくらいです。

将来の予測をしても正直、意味がありません。その通りいくことはありませんから。合理的に考えるよりも、自分の興味や挑戦を軸にした選択の方が結果的に楽しめるのだと思っています。目の前の仕事や目の前の人脈を踏まえて選択肢をみたときに、自分の興味に純粋に従って進路選択していくことが、結果的には一番ハッピーになれるのではないかと私は、思っています。

直感を信じつつキャリアを重ね、振り返ると全てがうまく繋がっているように見える三宅弁護士のこれまで。

全く予想してなかった現在地から、たどり着きたい目的地を目指しつつ、今日も目の前の仕事に対して100%で向かう。

インタビュー日:2021年1月7日

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