楽な道を選ばずに健全なリスクを取れ!-Paul Hastings LLP 新井敏之

新井敏之

2020年は元には戻れないほどデジタル化した年と言っても過言ではありません。しかし「人」が大事であること、「人」が問題解決することに変わりはありません。
デジタル化が進んだ世の中だからこそ「人」に着目し、デジタルと寄り添いながら従事する弁護士の内面を伝えたく「弁護士の志や生き方」を読者に伝える為にインタビューを実施しました。

今回インタビューを受けてくださる先生は、Paul Hastings LLPの新井敏之さんです。

<学歴>
1980年:東京大学経済学部経済学士号取得
1982年:東京大学経済学部経営学士号取得
1985年:最高裁判所司法研修所修了
1988年:コーネル大学ロースクール 法学修士号(LL.M.)取得

<経歴>
1985年-1991年:アンダーソン・毛利・ラビノウィッツ法律事務所
1988年-1990年:Dickinson Wright PLLC
1991年~:Paul Hastings LLP(LAオフィス、上海オフィス、東京オフィス)

<資格>
California Bar
Japan (第二東京弁護士会所属)

効率を考える子供

個人主義的と言うか理屈が通らないことに対して納得が行かない子供でした。弁護士になろうと思った根本的な理由はここにあります。

小学生の頃に習い事を幾つかやらせてもらい力を入れたのは特に算盤(そろばん)と英語です。腕が上がれば、それで食べていけることを父から学び「技術的なオリエンテーション」の重要さを知ります。技術が向上することで知識の幅が深まり、それが仕事になるかもという意識を持つようになります。

情熱や人間関係と同時に、「技術」の習熟が大事であることを学びました。法律も技術に裏付けされたものですから、当然、その本質は技術です。

とは言うものの、仕事はそれ以外の興味ほどは好きではないです(笑)。山ほど趣味や興味があるタイプなので。 やらなければならないことは、段取り良く能率的に実行したいタイプで、だからこそ技術が大切なのですね。世の中には仕事よりも楽しいことはたくさんある訳で……ですのでダラダラやりたくない、やることをできる限り効率化するために必要なのが「技術」であると子供の頃から思い至るようになったんです。

「Lost in Translation」されてしまうことに違和感を覚えた高校時代

高校生の頃に交換留学でアメリカのミシガン州に行った経験は人生に大きな影響を与えました。翻訳された本を読んだり、字幕の映画を観たりして海外の文化に触れてはいたものの、背景が分からず戸惑いました。翻訳されることで本来の意味が失われる「lost in translation」、ピンと来ない違和感を抱いていました。また一方でアメリカのポップやロック音楽に対する憧れ、異質なものへの興味を持ちました。

この頃のアメリカはベトナム戦争が終わって年月が経っておらず、人間としての繋がりを求めていた時代だったように思います。その状況が「lost in translation」されないように、この目で経験したい!と思い現地に行きました。時代的な背景で人心に傷跡が残るアメリカ中部、ミシガン州でのホームステイ先で経験し見た光景は日本で生まれ育った高校生の自分に切実な問題を突きつけてきました。人間として責任を持ち、社会的正義や理不尽な出来事に対して、きちんと整理した上で対応したいと思った経験でした。そのために、いつか社会貢献できる職に就こうと。


この留学でもう一つ感じたことは、多くの問題は謙虚に心を開いて会話すれば解決する、ということ。

当時、アメリカでは世代間の断絶と言われていましたが、それは1現象にしか過ぎず、世代が違えど考えや悩みは同じで発言の仕方から対立を生み出してしまう。そうだとするならば、お互い意地を捨てて、膝を突き合わせてオープン・マインドで話をすれば、多くの問題は解決すると。

ホームステイ先の生活や環境、家族の様子を通して、当時のアメリカ社会をこの目で見て、全身で感じてきました。

アメリカ人の中に混ざって生活し「lost in translation」されなくなった経験は有意義でした。どんなに優秀な人に通訳してもらったとしても完璧に伝わりません。自分がその地に溶け込み、同一化しなければ分からないのです。 米中対立が問題となっていますが、紐解けば言語の対立でもあるのです。アメリカは緻密に権利と義務を主張する一方で、中国は原理・原則をより観念として主張する。これは「lost in translation」の良い例だと思います。言語の背景にある文化を経験し、理解しなければ分かり合えない。故に対立が起こってしまう、まさに「lost in translation」状態が今です。

経済、経営を学んでから司法の世界を目指した学生時代

当時、社会の実態を把握して物事を動かすためにはビジネスリーダーになり、関わる人を巻き込みプロジェクトを進めていくことに興味を持っていたので東京大学の経済学部に進みました。法学部に進むよりも社会の仕組みやビジネス、大枠について知りたいと思っていましたし、そのためのインフラストラクチャー(社会的経済基盤)を動かしていくことに興味がありました。

就職活動時は日本の会社に入ろうと思ったものの理不尽なことや群れることに興味はなく大きな組織に属すると自由に息ができないだろうし、経済学部で法律を学べたこともあり、ビジネスに役立ち、個人主義的でスキルベースで活躍できる職業は弁護士だろうと考え、司法の世界を目指すことになります。畑違いではありましたが、勉強し司法試験に合格しました、持ち前の要領良さも役に立ったかもしれません。

司法の世界を目指し、弁護士になったのは「技術を身につければ、食べていける」と父の言葉が心に強く残っていたことが関係します。日本型雇用のクロストレーニングを身に着けて経営者になるよりも、自分の専門領域を深く知り、習熟したかった。そこに司法が重なったというわけです。 無事に司法試験に合格した後、本来自分がやりたかったビッグディール(big deal)や社会にポジティブなインパクトを与えるプロジェクトを法律面から関わることがしたいと思うようになりました。アメリカの留学経験もあって、日本に閉じこもって日本法だけを扱うのではなく、グローバルなことにチャレンジしたいと憧れはその当時から持っていました。

駆け出し弁護士時代と日本に閉じこもる違和感

日本の法律事務所に入り弁護士として従事する中で、日本法をベースとした仕事をこなしていくに連れて少し「窮屈さ」を感じ、日本法や日本市場だけに限定されるのは居心地が良くない気がしてきました。日常的にコミュニケーションを取る相手、アメリカのビジネスマンや弁護士と会話をしていく中で、日本市場と日本法だけではスキルセットとして一番重要な部分を欠いているのでは?と。

自分は日本人として生まれたかもしれないけど、法律のメインストリームはアメリカなのだから、現地の法律を知り現地で弁護士ができるのはないかと考えました。日本人だから日本の法律家だからできない理由はどこにもなく「やってやろう!」と思い立ち、国際的な取引法のスタンダードであるアメリカの法律を学ぶことを志しました。

そこでは法律家の立ち居振る舞いや考え方を肌で感じることができました。一見すると、アメリカで弁護士資格を取ることは華やかに見えてしまう部分があるかもしれませんが、私の場合はアメリカでアメリカ法を使い弁護士として身を立てたかったので、技術を身につける一心で励んでいました。自らの幅を広げたい、スキルを上げたいと思いMLBに挑戦する日本の野球選手の心境です。周りのレベルが習熟していると自分の成長も早まりますし、技術的に世界は広いと知る良い機会にもなりました。

アメリカの弁護士として働いて分かったこと

アメリカで就職したほうが、大きな仕事ができると思い留学後もアメリカにいることになります。本当であれば日本に戻ってバリバリ弁護士をやりたかったのですが、当時の日本はバブルが弾けたばかり。エキサイティングな仕事が以前のようにはないだろうと考えアメリカで新天地を開こうと気分を変えました。とはいえ少し気落ちしました、予定とは違う未来を描かなければいけなかったので。

でも結果として、アメリカの弁護士事務所で「ビジネスロイヤー」についての意味や本質を体得しました。

スキルセット、イシューのとらえ方、段取りの仕方、仕事の割り振り、すべてアメリカでの実務がベースになっています。時間をかけずに最大の効果を出すための米国弁護士のノウハウは優れたものがあります。効率や仕事をスムーズに回すための仕組みが体系的に組まれている。優秀な同僚・先輩にも恵まれます。対米17年で中国に引っ越し、同じポールヘイスティングス法律事務所の上海事務所にその後6年勤務しました。そこでは猛烈な発展をする中国とそのエリートの馬力を見ることができました。

これらの経験からアメリカの弁護士が世界のスタンダードになった理由がよく理解できました。交渉の技術、ドキュメントの書き方、仕事のタスク化における必要なスキルが効率と費用対効果に基づいて体系化されています。

ビジネスロイヤーとしての心得

これまで多くの重要案件を扱ってきました。米国の投資家による日本の金融機関の画期的な買収をいくつか主導しました。経営破綻に陥っていた日本リースや東邦生命保険相互会社の買収に関連してGE Capitalを代理したり、中国の公開会社であるファーマ会社天宝薬業の中国政府持分をオンショア取得するという取引に関連して住友商事株式会社を代理したりと大型M&A案件に携わりました。

確かに多くのM&A案件を行ってきて、その領域が専門と言われますが、ミクロ的な意味での専門の流れは5年毎に変わります。世の中の流れもそうですし、自分自身の専門領域もです。幾ら専門性のある弁護士だとしても、一生同じ領域で専門性を発揮できる人はいません。と言うより、それは許されない世界です。

スキルの在庫を時宜を得て取り替えるマインドセットを持つことが仕事をする上で重要だと思っています。ただ、これまでやってきたことを新しいスキルに役立てることが大事です。1つの専門領域にこだわることなく、役立ったことを過去の経験から学び、新たな領域へ広げる柔軟性を持った生き方をする。ニーズやトレンドはクライアントや経済状況によって変わります。柔軟性を持ち、何をやれば役に立てるのか常に広い視野を持ち、市場の動向に気を配ってスキルの幅を広げてほしいと思います。

日本の弁護士の考える「専門性」について思うのは、それをあまりに既存の法律分野との兼ね合いで厳格なもののように捉えている点です。まず、専門性はクライアントの産業分野と不可分で、既存の法律分野に縛られません。また、一生同じ専門領域しかやらないことは経験則からありえません。そういった考えに縛られること自体、自身を不自由にするのではないでしょうか。法の専門家として「専門性」とは何か?と言葉の定義をはっきりさせた方が良いかもしれません。それはどのような産業分野と取引で自分のスキルがほかの弁護士ができないような役立ち方ができるのか、ということです。その意味では英語を使ってアメリカの同僚と同じレベルでいくつか典型的なコーポレート取引法務(例・M&A, ファイナンシング)をすることで、それは既に専門性と言えます。それができる弁護士が日本にどれだけいるでしょうか。そういった意味の広義の専門性を持ち、柔軟性を発揮し、クライアントのニーズに応える弁護士になれば、道は開けるのです。

リーガルテック(法律×技術)の進化と若い弁護士の成長

リーガルテックの進化は歓迎すべきです。不正調査やデュー・デリジェンスで利用することがありますが、怪しいなと思う箇所をAI(人工知能)が調査することで劇的に効率はあがります。成功体験や事例が増えると、更にリーガルテックは弁護士にとって手放せなくなるツールになります。今後、爆発的に需要は伸びるでしょうし、もっと利用されていくべきと思います。

AIは便利ですし活用例も増えますが、筋の読み方……プロセスの提示は人間がやるべき部分です。仮説を立てて実験する過程において法律は科学と似ています。仮説を立てて議論を組み立てていく法律と、仮説を立てて実験をする科学と、性質は似通っています。この実験の部分をAIに任せることで仮説証明までの時間を短縮できるようになったリーガルテックの存在は、まさにゲームチェンジャーと呼んでいいでしょう。

一方で、若いアソシエイトが育たなくなる要因を作ってしまうかもしれません。これまで仮説を立てるために行っていた地道な法令・判例を読み込む作業時間がAIに変わることで経験を積めなくなるからです。リーガルテックを使うべきだと言いながらも、若い弁護士には泥臭い経験ができるような機会を提供しなければいけません。AIが仮説を立てる環境は喜ぶべきですが、次世代の弁護士を育てることも同時に必要です。

若い弁護士は面倒かもしれませんが金融庁や法務局の窓口に行ったり、電話をかけたりすることも必要です。交渉時もメールを使うのではなく、電話を使ってコメントするような……一見すると地味で遠回りに思えることも、この回り道こそが、AIが立てる仮説に対抗できる弁護士の行動なのではないでしょうか。あらゆる経験は自分が行動しないと身につかないと思うので。

例えば大きな案件交渉に際して、メールだけでコミュニケーションを進めても纏まりません。クロスボーダーならなおそうです。多少ムダだなあと思うような、相手の所まで出張して赴いて対面で話して食事をすることで、仕事が進んでいくことを何度となく経験してきました。若い人が自分の判断で手間を省いてしまうことで、逆に効率化が落ちてしまう選択をしているように感じます。リーガルテックと共存できる若い弁護士の育成については問題意識を持って取り組む必要があります。

また、日本でリーガルテックの導入が遅れている原因は技術的進歩に保守的であることに尽きます。未だに人力でやるほうが効率的であると考えてしまい、結果コストが高くなってしまう。AIができることについてサービス提供側が情報を開示して、効率的だから結果として、コスト減に繋がることを発信していかないといけません。

弁護士の広い守備範囲と可能性

ビジネスロイヤーはクライアントのニーズに対応するのであって、そのインダストリーナレッジがまず大切であり、資格国がどうとかは二の次です。アメリカの弁護士、日本の弁護士、そういうことではないんです。ある国の法律を勉強し資格を取ったということはそうですが、どの法律にも共通項があります。また、その産業特有の知識ベースがあります。仕事のスタイルとしてその共通項と知識ベースを活用して、仮説を立て、問題処理の糸口にするのです。

国際法律事務所であっても、伝来的には1つの案件に対して日本の弁護士は日本の法律を、アメリカの弁護士はアメリカの法律を、2人に振り分けます。このやり方は個人的には効率的に仕事が進まないと思っています。同じ案件にも関わらず別の人間が取り組むと、整合性を取るのが難しいからです。両国法について経験のある弁護士が1人で処理できる方が整合性は取れるし、実行する際にもスピーディに進むでしょう。

実際に行うとなると難しいことではありますが、様々な経験をして統合的なスキルを持ち合わせた弁護士が増えていかないといけません。タスクの進め方、交渉、書類の作成、プレゼンテーション・・・とあらゆる面において無駄を無くせます。そういった人間、ダヴィンチ型の弁護士が増える必要があると思っています。これは先ほどの専門性をあまり厳格に考えないようにするという理屈の裏返しでもあります。

また、法曹界を志す人が減っていることも問題です。世の中には法律家でないとできない仕事は本当に沢山あります。表に出ている華やかなコーポレートの仕事だけではなく、ユニークで重要な仕事がたくさんあることを知ってもらいたいです。それを知らないで法律家を目指さないなんて、本当に惜しい。社会に対してインパクトを与える仕事を、法律をツールとして駆使する弁護士が分野を問わずアメリカには沢山います。新しい自分の役割を作れる、とてもドラマチックで面白い職業です。それを是非味わってほしい。

リスクを取らないと面白くない

自分が守りに入っているかなと思う時に戒める言葉があります。「Be a risk taker」と。人生は楽な道を進んでは面白くない、と。私は米国で仕事をすると決めた時、中国で弁護士をすると決めた時、また、日本に20数年ぶりに弁護士として帰国すると決めた時、リスクがなかったわけではもちろんありません。でも、ほかの弁護士はこんな無鉄砲なリスクは取らなかった。だから、私の今があるということは事実です。

無謀なリスクを背負う必要はありませんが、健全なリスクを取れば新たな道が拓けます。今の場所がcomfortableで、成し遂げたことに対して、安住し満足することは進歩をやめることです。常にチャレンジです。いくら経験を積んでも、リスクは取り続けるべきなのです。

結果が大事ではなくて、成功の為にリスクを取るのではなく、新しい経験ができるからリスクを取ります。それによって生き方が深まります。

由々しきことは、リスクを取りたがらない優秀な若者が増えてしまったように見えることです。人生を豊かにするきっかけは、まず健全なリスクを取ることです。面白い経験ができますし、楽しめると思います。リスクを取って変化を恐れず、より高みを目指す生き方のほうが意味深いのではないですか。過去の成功は一瞬で忘れて、目の前のことに集中し健全なリスクを取って生きて欲しい。殻を破るためのエネルギーを蓄えて、変化を恐れずに成長していくプロセスが弁護士として、人間として、豊かな生き方につながると思います。

現状の不満については必ず過去の原因があります。その因果関係を見逃さないようにすることです。何が起こっているのか注意深く考えることで、どう対応するのか腹落ちするポイントが見えてきます。これが健全なリスクテイクをするコツです。

効率的にと言うと「ドライな人だ」と思われてしまいそうですが、実は逆で「熱っぽい」んです!と仰る、新井先生。

短い1時間の中で、濃密な話を沢山してくださいました。
昨日までの失敗や成功は忘れて、今目の前にある課題に対してひたむきに懸命にリスクを取って臨もうと思わせてくれた貴重な時間でした。

新井先生、ありがとうございました。

インタビュー日:2021年6月11日

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