インフレとデフレ

インフレとデフレ

アメリカで景気刺激策によるインフレが懸念される中、日本では、依然としてバブル崩壊後の景気後退状態から抜け出せないまま、デフレへの道を突き進んでいます。主要7か国(G7)で唯一日本がデフレに陥っている原因は、いったいどこにあるのでしょうか。この記事では、日本のデフレの起源を探るとともに、その原因と脱却の手掛かりについて解説します。

日本のデフレはいつ始まったのか

現在、アメリカでは物価の急騰が続いています。2021年5月の消費者物価指数(CPI)は、前月比0.6%の上昇でした。これは、ここ約12年半の間で2番目の伸び率になります。この事態に、政府の過剰な支出が過剰な需要を生み、やがてインフレを招くのではないかと憶測する専門家もいます。

一方で日本は、主要7か国(G7)の中で唯一、前年比マイナスの消費者物価指数(生鮮食品を除く)になっており、さらなるデフレへの加速が懸念されています。

この日本特有のデフレは、そもそもいつから始まったものなのでしょうか。

2000年に物価指数がマイナスに

物価の推移を知る指数のひとつに消費者物価指数(生鮮食品を除く)があります。戦後この指数は、常にプラスでしたが、2000年に初めてマイナスになりました。以後、2008年の+1.5%、消費税率アップの影響があった2014年の2.6%を除き、小幅のマイナスかプラスであっても0.5%以下の上昇で推移しています。

データを見る限りでは、2000年からデフレが始まったという考えが成り立ちます。しかし、それは単に要因を取り除いて結果だけを読み取ったにすぎません。ここでは、バブル崩壊を契機に、日本銀行が1991年に利下げを実施し、以後9年かけてゼロ金利まで下げ続けていたことに着目してみましょう。

この手法は、サブプライム問題が表面化し住宅バブル崩壊がはっきりした2007年に利下げを実施し、20008年9月のリーマン・ショックから3カ月後の12月にゼロ金利政策に踏み切ったアメリカと比較すると、非常に象徴的です。

人が、長く緩やかな下り坂を歩き続けると、やがて平地を歩いているかのような錯覚に陥るのと同様に、緩やかな利下げは経済社会にインパクトを与えることなくレベルゼロに到達することになったのです。 デフレをもたらした遠因から手繰れば、日本はバブル崩壊後すでにデフレへの道を歩み出していたということになります。

日本のデフレはなぜ長く続くのか

長引くデフレの中、当然政府や日本銀行が手をこまねいていたわけではありません。様々な施策を打ち出しながら、いまだにデフレを脱却できない原因を探っていきましょう。

ゼロ金利政策

通常の金融政策は、短期金利の上げ下げによって行われます。

物価が上昇しインフレが加速しそうなときは金利を上げて、市中にお金が出回りにくい状況にして物価上昇を抑えます。反対に景気が低迷し物価が下がる傾向のときは、金利を下げて、お金が回りやすい状況を作ることで、経済活動が活発になるように促します。

日本銀行は、バブルが崩壊し始めた翌年の1991年から利下げを始めています。ところが、想定外に不況が長引いたために、短期政策金利をゼロ近辺に誘導するゼロ金利政策を始めざるを得なくなったのです。

その後、ゼロ金利政策を解除したものの、短期間で再び利下げを行うといった政策の変更を繰り返しており、金利による金融政策は有効に働いていないのが実情です。

リーマン・ショック

バブル崩壊のダメージから回復しつつあった日本経済ですが、2008年のリーマン破綻により、世界同時不況の嵐に巻き込まれ、日本も景気後退に陥りました。

当時、既に不良債権処理も終わり金融システムは健全だった日本への影響は、さほどないという推測がありました。しかし、結果的にはダメージは、欧米よりも深いものになったのです。日本経済は2008年、2009年と2年連続でマイナス成長になりました。

かつて不動産ブームにより、消費が堅調だった日本は、アメリカや中国などの海外経済に頼り、円相場の変動にも極めて脆弱な構造になっていたのです。

東日本大震災

2011年には東日本大震災が発生しました。震源からの津波は、東京電力の福島第一原子力発電所の炉心溶融につながる重大事故を巻き起こしました。

甚大な地震の被害が及ぼす影響だけでなく、日本の保険会社が保険金支払いのために外国通貨建て資産を売って円に替えるという観測から、急激な円高・ドル安も進行しました。

また原発事故は、日本の電力の30%を賄っていた日本中の原子力発電所の稼働停止を招き、電力コストは急増しました。 こうした震災の影響により、景気の回復は大きく後退し、デフレからの脱却はさらに遠のいたのです。

構造的基盤

オイルショックを体験した世代にとっては、かつての日本はインフレに苛まれたという記憶があるかもしれません。しかし実際には、世界的に見ても日本は物価が安定した国です。

日本中の景気が熱気を帯びていた1986年~1989年のバブル期においても、消費者物価指数(生鮮食品除く)は、1%~2%を推移しているにすぎません。日本には、好景気時においても、インフレになりにくい構造的基盤があるのです。

新型コロナウイルス禍

景気刺激策の効果で急速な回復が期待されるアメリカや新型コロナウイルスの感染拡大を抑え込んだとされる中国などの影響により、世界的に見れば、商品価格が上昇しつつあり、インフレへの懸念が浮上しています。

一方で、日本ではコロナ禍の影響が、いまだに尾を引き、デフレの加速化の懸念が広がっています。

特に影響が大きいのは、輸出による利益が期待できない国内の非製造業です。原材料高という交易条件の悪化を受ける一方で、内需型の非製造業は輸出できないため、デフレ心理の強い国内市場での値上げが難しく、減益の一途をたどっています。

コロナ禍の影響で客の大幅減少に悩む旅客業、観光業、飲食業は、いつになれば需要回復が見込めるのか分からない状況が続いています。既にぎりぎりのところで踏ん張っている状況であり、もし原材料費の値上げや光熱費の増大が重なると、致命的な経営危機に見舞われる可能性があります。

デフレからの脱却

日本銀行の「展望レーポート(2021年4月)」において、2023年度の消費者物価指数(生鮮食品を除く)は、+0.7%~+1.0%であると発表されました。つまり、2023年度末においてもなお、デフレ基調から脱却できていないことを日本銀行自身が認めた形になります。

このような実情の中、はたしてデフレ脱却の道筋はあるのでしょうか。

緩やかなインフレを目指す

物価目標の2%は、G7などで掲げる世界基準の目標です。しかし、そもそも欧米ですら、2%に到達しない現実を踏まえれば、目標を下げて「緩やかなインフレ」を目指すのが現実的です。

そのひとつの施策が、マイナス金利からの脱出です。現在、地方銀行では、マイナス金利に加え人口減少によって経済的に苦境に立たされています。 苦境対策として、2020年11月には、経営統合や経費削減などを条件に、地方銀行が日本銀行に預ける当座預金に年0.1%の金利を付ける制度をスタートさせました。事実上のマイナス金利解消策として大いに注目されるところです。

継続的な賃金上昇

日本は欧米と比較して、特にサービス価格の上昇率が低い傾向にあります。今後、デフレを脱却するには、この上昇率の改善が不可欠です。

サービス価格は賃金と強い関係にあります。日本では、働き方の多様化によって、賃金の長期的な低迷が続き、サービス価格の低迷につながってきました。今後、サービス価格を上昇させるためには、賃上げと値上げの動きの歩調を合わせることが重要です。

賃金が今後、継続的に上昇していけば、物価にも反映されていくことが見込まれます。デフレ脱却のためには、官民の協調的な取組を通じて、賃金の継続的な引上げに取り組む必要があります。

また、最低賃金の引上げはパートタイムを始めとする低い給与体系の労働者の賃金引上げに効果があります。一方で、最低賃金に直面する労働者の割合が高まっている現状から脱却するため、国の先導による、能力に見合った包括的な賃金引上げの実施が求められます。

まとめ

現在、日本は、主要7か国(G7)の中で、唯一前年比マイナスの消費者物価指数になっており、さらなるデフレへの突入を懸念されています。

バブル崩壊後、リーマン・ショックや東日本大震災など、経済にダメージを与える事態が発生したことも大きな原因となっています。そこにきて、今の新型コロナウイルス禍が追い打ちをかけ、なかなか立ち直るきっかけは見つかりません。

コロナ禍の影響に直面した、観光業、飲食業の低迷がデフレに大きく拍車をかけています。欧米と比較して、サービス価格が著しく低迷している現状を打開するためには、賃金の上昇と切り離すことはできません。最低賃金の引上げについて、今一度真剣な議論が求められています。

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