消滅時効が完成しているはずの滞納水道料金600万円の請求はなぜ認められたのか?

消滅時効

裁判というと「真実に基づいた中立・公平な結論」によって紛争が解決されるというイメージを持っている人が多いと思います。たしかに、裁判官は、当事者が提出した主張・証拠を中立・公平の立場から評価して判決を下しています。

とはいえ、このことは必ずしも「訴訟が真実に基づく」ということとはイコールにならない場合があります。特に、当事者間に法律知識の差があるときには、「あるべき結論」とはかけ離れた判決になってしまうことも珍しいことではありません。

今回は実際にそのような結論になってしまった少し珍しい裁判例を紹介します。

事案の概要

今回の事案は、町が滞納されていた14年分の水道料金の支払いを求めて住民に対して訴訟を提起したものです。

滞納期間が14年にもなれば、水道代とはいえどもかなりの金額になります。本件訴訟は、最終的には、町の請求を認容する判決が言い渡されましたが(2019年11月21日判決言渡し)、認容額の合計は606万8892円(水道代約335万円、延滞金約271万円)になるそうです。

その後、被告が控訴しなかったため判決はそのまま確定し、今年(2020年)4月7日に被告の自宅とその敷地を競売にかける決定が下されたとのことです。

時効を教えず町が勝訴 14年間分の水道料金を請求(朝日新聞デジタル)

本件のポイント

本件での問題は、本件訴訟の事実関係からは「町の水道料金の請求権には消滅時効が完成していることが明らかであった」という点にあります。

実際にも、すでに報道されたところによると、原告(町)の担当課は、本件訴訟に際し「被告から時効の援用があると想定していた」という認識を持っていたそうですが、被告の方は取材に対して「時効なんて全く知らなかった」と答えているようです。

水道料金の消滅時効と時効の援用

人が人に対して何かしらの行為を請求できる権利(=債権)は、その種類を問わず消滅時効の対象となります。水道料金の請求権は、市区町村が徴収するものではありますが、税金などの租税債権が公債権となるのに対し、私債権として取り扱われます。そのため、消滅時効の時効期間は2年(※)となります(東京高等裁判所平成13年5月22日判決・最高裁判所平成15年10月10日決定)。

※現在では私債権の時効期間は、2020年4月1日から改正民法が施行されたにより5年となっています

本件では、報道などで示される事実関係からは、すでに滞納水道料金の大部分については消滅時効が完成しているものといえるでしょう。

しかし、残念なことに時効は、時効期間が満了になった(完成した)だけでは、当然に効力が生じないものとされています。民法145条が「時効は、当事者が援用しなければ、裁判所がこれによって裁判をすることができない」と定めているからです。

時効の援用とは、時効によって利益を受けるが「時効によって利益を受けるという意思表示をすること」をいいます。つまり、本件の場合には、被告が自ら「消滅時効によって滞納している水道料金の支払い義務を免れる」と主張しないかぎりは、判決の基礎として組み込むことはできないというわけです。

消滅時効の完成を原告(町)や裁判所は被告に教えるべきなのか?

本件被告は、そもそも本件事案について「消滅時効を適用できることは全く知らなかった」といっている以上、被告だけの意思で消滅時効の援用がなされることは期待できません。

それでは、このようなケースでは、原告(町)や裁判所は、「消滅時効が完成していること」を被告に教えてあげるべきなのでしょうか?

町の立場

本件訴訟については、「住民に有利になることは行政側が教えるべきだ。地方自治体は一般企業とは違う」という声もあるようです。たしかに、地方自治体は住民の利益を第一に考えるべきであるというのは、一理ある考えといえますし、14年を超える滞納料金の請求を求めることになったのは、「対応が遅すぎる」という点で町にも落ち度があるといえそうです。

しかし、その他方で毎月水道料金を支払っている他の住民からしてみれば「消滅時効で踏み倒させるのは不公平である」という声があがることも予想されます。さらには、水道料金請求権が私債権であることを前提にすれば、町役場の担当職員などの権限で消滅時効の完成を教えるというのも簡単ではなさそうです(上で紹介した東京地裁判決では「私債権の放棄には議会の承認が必要」とされていることを前提にすれば、役場の担当職員は権利の得喪に直接的な影響を与える消滅時効についての判断権限をもたないと考えることもできます)。

以上を総合的に判断すれば、消滅時効の完成を被告に示唆することについて町がイニシアチブを握るというのは簡単なことではなさそうにも思えます。道義的な部分(地方自治体の役割のあり方をどう考えるかという問題)を横におけば「債権がある限り請求しない理由はない」と述べている町の上下水道課の判断にも利がないとはいえないからです。

裁判所の中立性

それでは、裁判所が被告に消滅時効の完成を示唆するというのはどうでしょうか。

実はこちらもなかなか簡単にはいかない問題です。裁判所は、原告被告のどちらにも与することなく中立の存在でなければならないからです。つまり、裁判所が被告に「時効の援用をすべきではないのか?」と示唆することは、裁判所としてあるべき中立性・公平性を欠く可能性があるというわけです。

釈明権の行使

このような問題を専門的には「裁判所による釈明権行使」の問題といいます。

裁判所の釈明権とは、訴訟における当事者間のやりとりがあまりにも不十分であるときに「当事者間に対して主張や立証を促す(求める)権利(と義務)」のことです(民事訴訟法149条)。

民事訴訟法149条(釈明権等)

裁判長は、口頭弁論の期日又は期日外において、訴訟関係を明瞭にするため、事実上及び法律上の事項に関し、当事者に対して問いを発し、又は立証を促すことができる。

2 陪席裁判官は、裁判長に告げて、前項に規定する処置をすることができる。
3 当事者は、口頭弁論の期日又は期日外において、裁判長に対して必要な発問を求めることができる。
4 裁判長又は陪席裁判官が、口頭弁論の期日外において、攻撃又は防御の方法に重要な変更を生じ得る事項について第一項又は第二項の規定による処置をしたときは、その内容を相手方に通知しなければならない。

民事訴訟法の細かな解説は割愛しますが、この裁判所の釈明権の規定は、「弁論主義」と呼ばれる民事訴訟の基本ルールと関係しています。

弁論主義というのは、裁判官は「当事者が訴訟中提出した主張と証拠だけに基づいて判決を下さなければならない」というルールです。つまり、弁論主義が採用される民事訴訟の下では、当事者が十分な主張・立証活動をできなかった場合には、自らの不利益として跳ね返ってくるということになります。その意味で、民事訴訟は、「当事者による訴訟活動の中で明らかにされた」という限定付きの真実(事実)でしか判断が下されないということになります。

しかしながら、あるべき事実関係と下される判決との間の乖離が開きすぎることは、裁判への信頼確保だけでなく、当事者自身にとっても好ましくない結論になってしまう可能性があります。そこで、裁判所が当事者にとって「不意打ち」と感じるような判決を下してしまうことを予防するために釈明権(義務)があるとされているわけです。

時効の援用と釈明権

時効援用の問題は、裁判所の釈明権行使においては典型的な事例といえます。たとえば、銀行や消費者金融、サービサーといった金融機関から債務者への貸金返還訴訟などでも、この手のケースは多々見受けられるからです。特に、サービサーなどは消滅時効が完成している債権でも訴訟で回収を図ることは珍しくありませんし、法的知識のない一般の人には「借金の返済義務を時効で消滅させられる」、「自分のケースでは消滅時効が完成している」ことに気づいていないケースも多いからです。

とはいえ、民法145条は任意の援用がなければ、裁判所はそれを採用できないということを定めていることや、時効の成立は権利の得喪に直結する内容である(裁判官からの示唆によって訴訟の結論が変わってしまう)ことから、「消滅時効の援用について被告に釈明すべきではない」と考えている裁判官の方が多いと思われます。

また、最高裁判所も取得時効の援用についての事例ですが、「時効の援用について裁判官は釈明義務を負わない」と示しています(最高裁判所昭和31年12月28日判決民集10巻12号1639頁)。

さらに、近年の事案では、過払い金返還請求訴訟において被告金融機関側に「消滅時効を援用するよう釈明した」裁判所の対応に問題がある(行き過ぎた釈明権行使にあたる)として、国家賠償を認めた裁判例もあります(神戸地裁平成28年2月23日判決判例時報2317号111頁。ただし、本判決の控訴審では第一審の判決が取り消され、原告の請求を棄却する判決が確定しています。)。

したがって、本件訴訟において裁判所から被告に対し時効援用の示唆があることを期待することも難しいといえるでしょう。

どこかで弁護士に相談できていれば・・・

本件で最も不幸だったことは、被告が弁護士などの法的知識のある人に全く相談することなく本件訴訟にのぞんでしまったということに尽きます。本件訴訟の口頭弁論が終結する前に、どこかの無料法律相談に行っていれば、本件訴訟のような結論にはならなかった可能性が高いからです。

また、被告は、本件とは別に経験している町との別件訴訟においては弁護士を付けて訴訟を行っていたわけですから、弁護士にアクセスする術をしらなかったというわけでもないことは本当に皮肉としかいえません。

その意味で本件訴訟は、色んな不幸が重なったことで被告が長年住んできた家を競売にかけられてしまうという最悪な結果になってしまったものといえます。

そもそも水道料金を支払えなくなったきっかけは被告が営んでいた事業が行き詰まったことにあるようですし、その時期に町との間でトラブルが起き訴訟にまで発展してしまったことも本件訴訟の重要な背景事情といえるでしょう。また、その訴訟を東京の弁護士に依頼したことで多額な費用がかかった(と被告本人が述べている)ことも、本件において被告が弁護士に相談できなかった一因かもしれません。

さらには、町がもっと早く訴訟による回収に踏み切っていれば、請求額も少額になり、自宅を競売にかけられるという最悪の結論を回避して、滞納水道料金を解決できた可能性も十分に残されていたといえます。

消滅時効が完成しているはずの滞納水道料金600万円の請求:まとめ

民事訴訟は、弁論主義が採用される以上、常に真実に基づいた判決が下されるというわけではありません。判決の基礎として必要な事実の存在は、当事者が主張しなければならないからです。むろん、判決に対して最も利害の大きい当事者が、十分な準備と対応をすれば、実際には必要な事実が十分に提示されているケースが多いと思います。

しかし、本件のように必ずしも法的知識が十分ではない当事者が訴訟を行った場合には、逆に「救済の機会」を閉ざしてしまうことにもなりかねません。

これからの私たちの生活では「自分が訴訟の当事者となるリスク」はさらに高まっていくと思われます。その意味で、本件訴訟は、日頃から法情報や法専門家へのアクセス環境を意識しておくが重要であることを再認識させてくれた事案だったといえるでしょう。

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